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銀鮒の里学校について

求める子ども像

銀鮒の里学校は、学問のありかたに必ずしも忠実とはいえない公立学校のゆるいカリキュラムでは物足りないと思う、ほんものの学問に触れたいという強い願望をもつ子どもたちの積極的な希望を叶えるオルタナティブ・スクールでありたいと考えています。

よく、オルタナティブ・スクールには、「学業不振で不登校になった子どもが行く学校」というイメージが持たれがちですが、銀鮒の里学校はその全く逆といえます。同じ不登校であっても、「公立学校のカリキュラムが子ども騙しのようにゆるすぎてつまらない」「受験戦争で勝つためのテクニックだけの詰め込み勉強法に嫌気がさした」、あるいは、「子どもがまじめ過ぎて、周囲の子どもの話についていけず、仲間はずれにされる」という子どもも少なからずいると思います。農村の廃校での開校を目指している銀鮒の里学校のオルタナティブ・スクールには、そのような前向きかつまじめで、並大抵の子どもにはない高い志を持った子どもたちに入学していただきたいと願っております。もちろん、前向きな志を持っていさえすれば、現在不登校であったり、発達障害(特定のことがらへの強いこだわり、特定の教科が極端に好きで得意、特定の感覚に敏感など)と診断されていたとしても、全く問題はありません。

ゲームやアニメ映画などの商業的娯楽の話題のノイズでいづらさを感じている子どもたちにとっては、銀鮒の里学校は、まさに理想の教育環境といえます。オルタナティブ・スクールには、原則として、ゲーム機や商業的娯楽への関心を煽るものの持ち込みは禁止としていますので、安心して学問や健全なあそびを楽しむことができます。

ギフテッドについて

例えば、相対性理論で有名な物理学者のアルバート・アインシュタインや、唱歌「赤とんぼ」の作詞を手がけた作詞家の三木露風は、今でいうところの「ギフテッド」ではなかったかといわれています。もし、彼らが横並びの教育をいうがままに受けていたとすれば、名を残していなかったかもしれません。このように、偉業を成し遂げた著名人は、ギフテッドの才能を伸ばしてきたからこそ偉業を残せたのです。しかし、現在の公教育では、そのような「ギフテッド」の子どものやることを否定するような教育が行われ、問題視されています。

銀鮒の里学校では、あえて知の境界を設けるようなことはせず、学問に忠実な姿勢に立って、子どもたち一人ひとりの才能を尊重し、その才能を限りなく伸ばす教育を実践してまいります。