活動のひろば > 銀鮒の里プロジェクト > 廃校活用開校プロジェクト【各自治体さま向け情報】 > 開校の公益について

銀鮒の里プロジェクト

廃校活用開校プロジェクト【各自治体さま向け情報】

開校の公益について

他の廃校活用事例との違い(優位性)について

他の廃校活用事例の多くが、観光や物産加工施設としての利用などといった営利目的の利用が多いのに対して、オルタナティブ・スクールである「銀鮒の里学校」は、幼児・学童・青年をおもな対象とした、営利を目的としない教育施設としての利用となります。

廃校利用のニーズとしてとくに多いのが、地域に開かれた施設や、地域活性化に役立つ施設ということです。しかし、一度営利目的の使用になってしまうと、学校としての用途ではないため、大幅な改装・改築が行われたり、どうしても独占的利用になりがちです。これでは、廃校をお持ちの地域の市民感情に照らしても、決して好ましいものとはいえず、自治体の立場においても、最も懸念されていることのひとつと察せられます。

これに対して、非営利の教育施設であるオルタナティブ・スクール「銀鮒の里学校」は、学校としての活用のため、従前の用途と同様の用途であり、現状を大きく変更するようなリノベーションや改築を一切行わない現状利用が可能です。(実際の利用でも、とくに修繕が必要ではないかぎり、学校の雰囲気を忠実に活かし、現状の状態で利活用をする予定です。)また、準公共施設としての利用のため、放課後や休日の一般開放の要請にも柔軟に対応することができます。

もちろん、利活用に際しては、廃校物件をご所有の各自治体さまと綿密に協議し、地域住民や自治体さまのご希望を最大限に反映した利活用になるように配慮させていただく所存です。

銀鮒の里学校に特徴的な公益について
SDGsのその先を見据えた先行投資

SDGsの目標年は2030年、この年には、2020年の時点で小学校4年生の児童がちょうど成人になる年にあたります。今日の児童教育は、SDGsのその先の時代にどのような時代を築いていくかを決定づけるといっても過言ではありません。

銀鮒の里学校は、立ち上げ当初より、昭和のくらしESDという日本の風土にあったESDを追究し実践を重ねております。いろいろと不利な点が多いと思われがちな農村部において、ESDを活かす教育のまちおこしは、農村にしかない有形無形の資源を見出し、それらのもつ潜在能力を最大限に引き出し活かすことのできる、最も現実的かつ効果的な選択といえます。

ヨソモノの定住・対流が新たな定住者を生み出し続ける、ESDがもたらす正の循環
まず、1期生が定住
1期生の募集は、小学部の児童20〜30人程度を募集する予定です。とくに都市部から離れた僻地の場合は、定住が期待できます。一家そろっての定住の場合、数十人の人口増が期待できます。空き家対策も一気に加速します。
学校休業日には、地域住民や都市部の人たちとの知的交流の場に
学校休業日は、公民館と農村体験学習型観光施設の機能を併せ持つESDツーリズム拠点として、地域住民と都市部などからの観光客との交流の場として開放します。銀鮒の里学校で使用の教室などでは、都会の子どもたちが、里山での学習体験ができるようにする予定です。ゆとりをもたせることで、公民館としての機能も確保し、地域住民のニーズにも柔軟に対応できるようにします。地域の事情に即した地域ESD学習資料館(室)の併設も検討しています。知的活動の場づくりで魅力を向上させ、対流促進から定住促進へとつなげていきます。
中学部修了後も定住し、社会事業家の進路も
銀鮒の里学校の生活・職業教育カリキュラムには、農村の魅力を主体的に発見する農村定住促進教育や、農村発の新しい価値を主体的に創造するために必要な、農村社会起業をするために大切な内容を含みます。AI代替による合理化など、都市での労働環境の縮小化が問題視される一方で、人にしかなし得ない農村でのクリエイティブな仕事に注目が集まるのは必至とされています。資源豊かな農村の資源を、持続可能性を常に意識しながら柔軟に活用する能力を持った銀鮒の里学校中学部の修了生は、農村での定住と社会事業に魅力を持ち、これまでにない全く新しい発想に基づく農村からの持続可能性文化発信の担い手としての活躍が期待されます。
毎年4〜10人程度の入学者受け入れ
オルタナティブ・スクール「銀鮒の里学校」は、1学年あたり4〜5名、第1期は小学部のみで開校し、早ければ第2期より中学部を開設します。新小学校1年生を毎年4〜5人程度、中間の学年の児童生徒を年間5人程度の枠で受け入れる予定です。家族揃っての定住が基本のため、とくに都市部から離れた地域の場合は、中学部修了者の農村社会起業による定住に加えて、恒常的な定住者増が期待できます。
新しい教育・市民社会文化の発信地として注目
現在において、銀鮒の里学校の取り組みは、他に例のない画期的な農村活性化のスタイルでもあります。このような取り組みが定着してくると、活気のある先行事例として、全国の注目の的になります。教育による農村活性化は、費用対効果を最大限にする、ことに廃校を持つ農村の自治体にとっては、最も現実的であり、かつ有効性の高い考え方といえます。現在一般的な廃校活用事例のようなケースでは、一時のブームで終わるリスクを抱えていますが、銀鮒の里学校は、農村活性化に資する人材そのものを育てる教育機関ですから、その時代に即応した若い活力を輩出し続けるという、他では実現しがたい潜在的可能性を秘めています。

このように、銀鮒の里学校入学による定住や中学部修了後の農村社会起業による定住、休日の都市部の人たちとの対流とが相まることで、定住人口の持続的増加や新規就業人口の増加、人口流出の抑制につながることが期待されます。

全く新しい発想の日本のオルタナティブ・スクール「銀鮒の里学校」

これまで、オルタナティブ・スクールといえば、海外の教育論に基づくスクールしかありませんでした。公立学校の教育に疑問を感じて、あえてオルタナティブ・スクールに通学してみたものの、「何か違う」「ゆるすぎるのではないか」と、疑問をもたれることもあるといいます。また、「勉強が嫌いな(落ちこぼれた)子どもが不登校で仕方なく行く場所」と、消極的な印象を持たれることさえありました。

「銀鮒の里学校」は、これまでのオルタナティブ・スクールにはなかった、真に日本の風土にあった、日本型ESDに基づく教育カリキュラムを実践する学校を目指して開校するオルタナティブ・スクールです。つまり、学ぶことが好きで、何事にも積極的な、未来の農村社会起業家の卵が集結する学校なのです。

都会にありがちな商業的な誘惑を一切排除した、農村ならではの清浄な教育環境を最大限に活用し、規律のなかに自由やぬくもりが感じられるような、学問による人間性の育成を最重視した教育を行います。

銀鮒の里学校の運営主体は、一般社団法人としての法人化(将来的には、公益社団法人化の申請も視野)を検討しています。特定の政党(政治団体)や宗教団体とは一切関係をもたず、高い公共性を維持して運営してまいりますので、安心して利活用をお任せください。

オルタナティブ・スクールの教育メソッドの例
教育メソッド 特徴
サマーヒル教育 ドイツおよびイギリス発祥。民主的学校(デモクラティック・スクール)の代表的な教育メソッドのひとつで、この教育メソッドに基づくオルタナティブ・スクールは、日本国内にも多く存在する。最大限の自由という考え方のもとで、規則はほとんど設けず、カリキュラムや学校運営は子どもたちの責任で主体的に作らせたりさせたりするのが特徴。その一方で、教育の質の面で個人差が生じやすく、能力育成にむらが生じやすいという欠点がある。
サドベリー教育 アメリカ発祥。サマーヒル教育と似ているが、年齢(年代)別のクラス分けをしない、一定の規則の下なら、何をしてもよい、保護者のかかわりがほとんどないという特徴がある。子どもたちの自治による学びに特有の欠点として、学力や能力の保証が難しいという点が挙げられる。また、規律が緩やかで、ゲームなどの商業的な誘惑に寛容な点も問題視される。
フレネ教育 フランス発祥。個別学習が基本で、教科書は子どもたちの手作り、個別学習・研究をもとに協働作業を行うといった特徴がある。この教育メソッドを実践するユネスコ・スクールも存在する。子どもが興味・関心を持つままに学ぶことで、自由な気質が育つ半面、学力や能力にむらが生じやすいという欠点もある。また、教育メソッドのまま実践されるため、日本の文化に調和しにくいといった点も問題視される。
シュタイナー教育 オーストリア発祥。教育そのものを芸術とする教育メソッドで、芸術(創造)教育に力を入れることで知られる。金権や政治的権力の排除を掲げ、善良な市民感覚を身につける道徳律を重視する一方で、霊的なことがらを重視することから、反科学(オカルト)的側面をもち、そのことが批判の根拠とされることもある。
銀鮒の里教育 日本発祥。既存のオルタナティブ・スクールの欠点やミスマッチを是正する、日本の風土や日本人の普遍的気質にあった教育メソッドとして開発・提唱。自主的な創造を是とし、商業的なものやことに依存しないという考え方が基本で、保護者や地域住民など、あらゆる世代の教育への主体的関与を重視する、銀鮒の生態に喩えられる小規模コミュニティ発想重視の教育メソッドともいえる。日本の学習指導要領を内包したうえで、子どもたち一人ひとりの生活能力(生きる力)を最大限に伸ばす、学問の本質に迫る哲学教育や科学技術(STEM)教育も特徴。授業時間は1時限80分が基本。依存を惹起する(商業的な)ものやことに対しては厳しい制限があるが、その代償として自ら価値を創造する喜びを得ることで、市民的自由が得られるという道徳律に基づく教育を行う。それを良好に実現するためには、商業的誘惑から隔絶された農村が理想とされる。