活動のひろば > 銀鮒の里プロジェクト > 廃校活用開校プロジェクト【各自治体さま向け情報】 > このような学校を目指します

銀鮒の里プロジェクト

廃校活用開校プロジェクト【各自治体さま向け情報】

概要

銀鮒の里学校は、日本発祥のESDである昭和のくらしESD(銀鮒の里教育)を基盤とした教育を実践する、小学部6年・中学部3年の小中一貫型・男女共学・全日制のオルタナティブ・スクール(※開校準備中)です。家庭からの通学を基本とし、子ども食堂方式(自校調理方式)の給食(昼食)を予定しています。早い場合で、平成31年度の開校を目指しています。

このような学校を目指します

まじめな子どもたちの想いをかなえる学校を

例えば、

  • クラスメイトの商業的なゲームやアニメの話に興味がない。話の輪に入れないといじめられる。
  • みんなで昔あそびのようなあそびをしたいのに、そのような機会がない。何かあれば商業的ゲームというのはいやだ。
  • 学問的には正しい答えなのに、教えたとおりの答えでないと評価されない。これには納得できない。
  • みんなと同じ横並びを強制される空気感で、異端だと冷ややかな目でみられる。
  • 学校でうんちをしたいのに、からかわれるからと我慢していたら、授業中に教室でうんちをもらしてしまい、そのことでからかわれて以来、トラウマになって不登校になってしまった。

このような子どもは、マイノリティ(少数派)かもしれません。だからこそ、このような子どもたちの個性が尊重され、それぞれ、のびのびと育つことができ、よい親友ができるような場づくりが必要なのです。

いまの日本の公立学校の多くは、マイノリティの子どもたちに対して冷たいです。時には、学校の都合で、一筋縄にはいかないことを嫌われ、実質的な差別を受けることさえあるのです。

現在の公教育は、都会生活に順応した、同じような志向の平凡な人間を育てることに特化しています。このような教育を受けた子どもは、成長して大人になると、都会でサラリーマンになり、近代的なコンクリートのマンションで暮らし、一家で無味乾燥な都会を行き来する毎日を送るのです。その一方で、人口流出に歯止めがかからず、過疎に苦しむ農村も数多くあります。

それでも、このような「一見して無難な教育」でよいのでしょうか。「時代の変化だから、しかたがない」と切り捨ててよいのでしょうか。このままでは、まじめで積極的な子どもほど、我慢を強いられ、成長の芽を摘み取られることで居苦しさを感じずにはいられなくなるのです。

銀鮒の里学校は、そのようなまじめで積極的な子どもたちが集い、おてんば放題、わんぱく放題にあそび、自発的に真剣に学びたい気持ちをしっかり受け止め、積極的なねがいをかなえることのできる学校を目指します。まずは、日本の子どもとして本来あたりまえのことを、あたりまえにできるようにすることで、昭和の中期頃までの子どものような、子ども本来の笑顔の輝きを、もう一度取り戻したい。そして、明るい明日を築く原動力へとつなげていきたい。銀鮒の里学校には、そのような想いがあります。

清浄な教育環境で、「あんしんして、おてんば・わんぱくほうだい!」

自由を売りにするオルタナティブ・スクールや学童保育では、ゲーム機やアニメ本、アニメ映画のDVDがあったりと、自由を勘違いしているような現状に戸惑いを感じているという方も少なからずあろうかと思います。子どもたちが、境界意識のない真の自由を実現するためには、まず、指導者である大人がしっかりとした規範意識を持つ必要があるのではないでしょうか。

銀鮒の里学校は、規律の中から生まれる自由を大切にします。ゲーム機やアニメ関連グッズなどといった、商業主義やあそび格差の象徴となるものやことがらの持ち込みは厳しく制限し、教育的代償の原理に基づき、その分以上を、日本の子どもとして変わることのない普遍的なよろこびを実感できる、質の高い哲学のあるあそびや学問の本質に迫るまなびで満たすことで、境界意識やあそび格差のない、知的な真の自由がもたらされます。子どもたちの笑顔であふれる笑い鮒での実証を反映した学校づくり、だからこそ、まじめな子どもたちが輝ける場が実現できるのです。